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平成31年4月22日(月曜日)​ 私の心境と今後の活動について。

 

 さて、この度の町会議員選挙につきましてはみなさまの絶大なるご支援、ご支持を賜るにもかかわらず、力及ばず残念な結果に終わりましたことをご報告いたします。このうえは 結果にめげず、より一層ボランティア活動に努力いたしますので、皆様方のご指導とご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。議員としての立場より、みなさま方からのご意見、ご要望を取りまとめ議会並びに行政に一住民、一ボランティア団体の提案をしたいと考えている所存でございます。

 

私の公約である志免町に英語村の開所を積極的に要望させて頂きます。 

 

平成31年3月30日(土曜日)午前11時より「かさまつ 守」の後援会事務所開き

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皆さま、本日はお忙しいところ、お集まり頂き有難うございます。

 さて、私は 昭和三十六年に同志社大学を卒業して会社に 二十五年間 勤め、その後 都合により退職し福岡県志免町に住み始めました。志免町に五十年間住み、町内会副会長、会長を六年務めさせて頂きました。

その間、皆様方から色々なことを教わり勉強もし経験させていただきました。改めて皆様方には本当に感謝しております。地域のボランティア活動も含め、私自身八十年間に培ってきた 知識、経験・体験 などと合わせて、この度、政策を立案したいと考えている所存でございます。

 私は政治家になる積りは一切ありません。もしそうであるならば、二十年前に決意しています。みなさまからのご意見を頂き、今までの町内に於ける経験をいかした政策を実行して、皆様に喜ばれ、親しまれる人物になります様に努力したい。

私は幼少期に父親を亡くし、母親に私を含めて五人の子どもを育てられました。経済的にとても苦しい時代にもかかわらず、大学まで行かせてもらいました。男は酒と女で身を亡ぼす易いから社会に出たら気をつけなさいと母親からの教えを八十年間守り続けて来ました。 また、人生の方向づけに末は、博士か大臣を目指しなさいとも云われ私の目標ともしてきました。今では町内会活動などで六年間のブランクはありますが、文化に関する博士号の執筆中です。博士と大臣は人様の役に立つ人になると自分自身に言い聞かせ、八十年間の人生を歩んでまいりました。

 つきましては、私は今ここに立って町会議員の立候補を宣言します。大臣にこそなれないが、皆さま方の役に立つ人となり、志免町が私の目指す町民が創る、豊かな町になるように一生懸命がんばります。

 

 私の第一の政策は、子どもたちの人材育成の推進です。十五年前に志免町の子どもを対象とした「ドラマスクール」、芝居を通して遊びながら表現力やコミュニケーション力を子どもたち学び、体験したこと、また、環境ボランティア活動として、河川で生き物の観察体験、博多の森などで樹木観察、また、子ども居場所つくりとする「志免ブランチ」では、遊びながらか英語を学ぶ子どもの姿、またスポーツではバンバボールサッカーを志免体育館、松島小学校で、西日本で初の開催することもできまました。この間子どもたちと一緒に体験・経験を通じて、子どもたちは何を望んでいるのか、十分知ることがことができました。

 第二の政策は、町民の安心・安全。人生百歳時代をどのように乗り切るか、いままでの高齢者支援の施策だけでは矛盾が発生する可能性があります。

町内会の会長職を務めさせて頂き、高齢者の方々の意見をたくさん聞き取ることができ、地域防災、防犯の仕組み作りに力を注ぎます。

 第三は私のキャッチフレーズである町民が創る、豊かな町に向けて、活力ある志免町を目指します。三十年間のボランティア経験を生かして明るい差別のない町にします。私一人では出来ません。町民の協力を得て、開かれた行政、議会が必要になります。​住み良い志免町になる様頑張る所存でございます。

簡単ではございますが、事務所開きのご挨拶とさせて頂きます。 

​笠松 守

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